LM * The Letters about a MOVIE.

映画に関する君への手紙。

いつか読書する日

いつか読書する日

久し振りです。
そして、あけましておめでとう。
なんだか本当に久し振りに、こうして君に手紙を書いています。手紙を書かないでいる間、結構いろいろなことがありました。

いや、いろいろ、と言う程でもないか。ちょっと入院してしまったり、引越ししたり。

というわけで、今は、前と同じ大阪の、ちょっと北の方にある新しい部屋で、この手紙を書いています。このあたりは、住宅街で、おいしそうなお店も駅のすぐそばには、あまりないよ。みんなが車を持っているという前提で街が作られているという感じかな。

今日は、本当に数ヶ月振りに、映画館で映画を見て来ました。『いつか読書をする日』という1年くらい前の邦画です。

一人暮らしの50歳の女性。毎日牛乳配達とスーパーのレジ打ちを繰り返すだけという生活をしている。いったい何が楽しくて生きているのか、と言われるような生活。

何があっても平凡に生きることを決意したんだという、同じく50歳の男性。市役所勤めで、正に絵に描いたように平凡と言えなくもない人物。そして、病気で先行き短いその妻。

この3人の進展しそうでしない、関係を見ているうちに全然別のことを考えていました。

あー、昔、数学が苦手な奴がいたよなあ。

たまに、理系の人、文系の人、という分類をされることがあるよね。どちらに属するかは、小学校から高校くらいまでの間に、数学が得意だったかどうか、という点で判断されることが多いような気がする。本当はこの頃までのお勉強で数学が得意だからと言って、決して理系的思考の持ち主だとは思えないんだけど、まあ、その事は置いておいて、僕の周りにもいました。数学が苦手な奴。

一度、そういう奴と、じっくり話をした事があるんだけど、彼は、別に数学の授業で教えられることを理解していないわけではない。ただ、すっきりと納得してないだけなんだ、というのがその時の結論でした。

なんて言うのかな、教えられた事はわかっているけど、本当にそれで良いと思えない、というか、何か他にあるような気がしてしまう、というか。納得感が無い、という感じかな。

この映画の登場人物も、彼が教わった解法で数学の問題を解くことに納得できなかったように、自分の望みを人に伝えたり、自分の幸せを積極的に掴み取ったり、といったことや、そういう行動を採ることに納得できないんだなあー、と思った。「幸せ」が苦手、というか。

「幸せ」というのは時々、ものすごく、現実的、というか、下世話というか、矮小な価値観の上に成り立つことがある、と思う。もう、いい年なんだから結婚した方が幸せになれる、とか、そういうこと。

この映画の主人公も、高校時代の恋愛に拘ったりしなければ、その辺にいくらでもそれなりの男はいただろうし、自分が楽しく暮らしたい、その為に何かしよう、と思えば、いくらでもやる事はあって、牛乳配達とレジ打ちなんていう無機質な日常を過ごしていることもないんだろうと思う。

それは、ただ、自分がそうしさえすれば良いことで、そんなに難しくもなく、そうしていれば、多分今とは違う「幸せ」を得ていた筈だ。

そうしない、そうできない、明確な理由なんてどこにもなく、やっぱりただ、「幸せ」が苦手なんだろうと思う。

それは、人生と折り合いを付けられない、ということなんじゃないの?

と、君は言うかも知れない。確かにそうだと思う。そんな気もする。

でも、彼女はいろいろな自分の思いに折り合いを付けているからこそ、自分の心の奥底にある本当の想いを抱き続けている、そんな気もしもしたよ。そんな想いの熱さのようなものを、感じた。

そんな映画でした。

また、手紙を書きます。
では、また。