LM * The Letters about a MOVIE.

映画に関する君への手紙。

フライ、ダディ、フライ FLY,DADDY,FLY

フライ,ダディ,フライ [DVD]

前略、元気ですか?
先週、『FLY,DADDY,FLY』のコミック版を、仕事場に持ち込んでいる人がいたので、借りて読んでみました。
 

サラリーマンのおっさんが、自分の娘や家族との絆を取り戻す為に、朴舜臣という在日韓国人を中心とする高校生達に助けられて、ボクシングのインターハイチャンピオンにタイマンを挑む、っていう話。

 
なかなか面白かったんだけど、これを読みながら思ったのが、このサラリーマンに体力トレーニングだとかケンカの手ほどきをする舜臣という登場人物、なんで在日韓国人なんだろう、ということです。

そういう設定にすることで、何が言いたかったんだろう。

この物語の肝は、舜臣とのかかわりの中で、中年のおっさんが自分にとって大事なことを取り戻していく、というところなんだ。娘が殴られたからって、やり返すっていうんじゃ、結局自分も同じ位置まで下がることなんだよ、っていうのがまあ普通の発想というか、常識なんだろうけど、そんな日本の常識では守れないものがある、と言っている気がする。やり返すんじゃ自分も同じだよ、というのは分かるけれども、もしそうだとするなら、このサラリーマンはどうするべきなのか。

今の日本人の大人は、それを提示することが出来ない、つまり自分達にとって何が本当に大事なのか、大事なことの為にどうするべきなのか見失っている。それを提示できるのは、舜臣の様な差別だとかそういった事にさらされてきた人間なんだ、と言いたいのかな。

と、そんな事を思って、映画を見てみました。

■公式サイト
http://www.f-d-f.jp/site.html

映画の冒頭で、主演俳優二人の名前が出てきました。「岡田准一」。あらー、岡田クンか。この間もなんか出てきたなあ。こういうキャストで、上に書いたような日本人にとってのシビアなメッセージってなさそうだなあ。ま、カッコイイし、キムタクよりましか・・・。
→ http://miyadaic.hatenablog.com/entry/2005/01/30/142909

というわけで、映画は、ハードなトレーニングをして、最後には敵役に勝って、カタルシス~、という、ロッキーのようなパターン。ロッキーはそれでも苦悩してそれを克服する、っていうのがパターンだけど、この主人公、鈴木さんってば、あんまり自分で克服したって感じじゃないんだよね。自分の娘と同じ高校生の舜臣に、何回も言われている。

自分の為にやるんだ。やめたきゃやめて良いんだぞ。

もしかして、このハナシ、若い人に向けて、もう大人に頼っていても仕方が無い。むしろ、ダメな大人を導いて、自分達の世界を創って行くべきなんだ!と言っているのかも...

* * * * *

僕が高校生の時のことを考えると、それはバブルの時代で、日本も経済大国になったとか盛んに言われていた。そして僕はなんて言うか、社会の既存の構造を変革することなんて永遠に無い、というような気がしていた。だから、もっとも軽蔑する職業は政治家だ、と思っていたんだ。政治家になる理由としてお金以外の事を思いつけない、という感じ。

その頃、巷には、『~なりの』とか『~としての』っていうキーワードに溢れていた気がする。

高校生なりの社会に対する考え方。
主婦としての市民運動

こういうコトバって聞こえは良いんだけれども、エクスキューズを含んでいるんだよね。本当に切実にはやってなくて、どこかでお茶を濁す。で、あなたが高校生だとか主婦だとか、そんなことは置いといて、本当のところどうなの、どうあるべきなの、どうすべきなの?という問いには、僕達は所詮高校生ですから・・・、みたいな感じ。まあ、高校生だけじゃない。『高校生』のところに、『サラリーマン』とかそういう言葉を入れてみても同じだよね。

でも、だんだんそんな風にお茶を濁していられない状況になってきて、小泉さんが現れたりして、今のこの社会がある、というのがなんとなく僕が感じているコト。

それでね、結局何を言っているかと言うと、堤真一演じる鈴木さんに代表されるような人がこの映画を見てカタルシスを得て、良かった!とか言っているとしたら、それは、『サラリーマンなりのロッキー体験』に過ぎないんじゃないだろうか、ということです。

 * * * * *

そんなことを思った映画でした。

あと、思ったことと言ったら、岡田君は顔がきれい。芝生に寝っころがって文庫本を読む姿が良く似合う。そんな姿に思わず精神性を感じてしまうのは、顔がきれいなせいなのかな。

というわけで、また手紙を書きます。
今度一緒に映画を見に行こう。